モダリティの機能を活かした所見を書いてこそ
ここまで述べてきたとおり、超音波はとても有用なのになぜか軽んじられているところがありますね。これは超音波の良さをフルに活かした診断を返せていないから。実は当院でも私が赴任した当初は、CTが先行していると超音波の所見はそれに迎合したものになっていました。私はそれを厳しく叱りました。たとえCTと違う所見になっても、堂々と根拠を持って超音波の所見を書きなさい、他の検査に迎合する必要はない、と。なぜならCTに迎合するなら、超音波検査を行う意味がないからです。さらにCTと同じ所見だった場合でも、CTにはない付加価値を加えるように常々指導しています。要するに、超音波が軽んじられてきたのは、先行したCTなどの検査結果を反復する程度の内容が多すぎたということなんです。また、消化管疾患の場合、超音波は「ガスが多くて見えませんでした」というのを免罪符にしてきたため、超音波は役に立たないという認識が普及してしまったことにも原因があるのだと思います。
加えて現在の日本の消化管専門医というのはほぼ内視鏡医です。先にも述べたとおり、人が何かを極めようと勉強すれば、その深さに気づくわけです。内視鏡には内視鏡の奥深さがあって、それを追求するのに手一杯になってしまう。さらには人は自分のやっていることが一番素晴らしいと思うようになる。そうでなければ自分の人生に意味が見出せませんから。つまり消化管専門医=内視鏡医である限り、超音波を重用しようという発想はなかなか出ないのです。
私自身は30年来、超音波が消化管に有用だという報告をずっとしているのですが、最初の頃は怒声を浴びせられるために発表しているような感じでした。とてもアカデミックなディスカッションにはならなかったのです。「そんなもので分かるわけない」、「内視鏡で分かるのになんでエコーなんかするのか」…。そういう話ばかりで全く理解はありませんでした。教科書にも超音波で消化管は見えないと書いてあるのですから、信じてもらえないのも仕方ないことでした。それでも現在は攻撃的なことを言う人はほぼいなくなりましたし、少しずつ概念も変わってきています。
ただ、指導的な立場にいる消化管の専門医が超音波というモダリティを認識していないというのが、消化管領域における超音波普及の阻害要因としては大きいのではないかと思います。そういう医師のもとでは消化管疾患の患者さんに対して超音波のオーダーが出ませんから、当然文化も育たないわけです。しかし当院ではまず超音波をとる。消化管の先生方も診療が楽だということで、非常に好評です。こういう文化をいかに育むかということが課題ですね。
また、IBDのモニタリングに関しては製薬会社のプッシュでさまざまな分子標的薬が出てきました。一連のキャンペーンで超音波を消化管の医師に導入してもらえるよう運動を重ねているようですね。