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Made for Life Special -後編- 「災害を乗り越え改めて感じた地域とのつながり」
地域医療の要としての矜持と思い
まび記念病院 理事長
むらかみクリニック 院長
村上和春 氏
まび記念病院 院長 村松友義 氏
まび記念病院 事務長 国重純弘 氏
まび記念病院 放射線部 技師長
むらかみクリニック 放射線部 技師長
小村武彦 氏
キヤノンメディカルシステムズ株式会社
岡山支店 支店長
吉田素忠 氏
キヤノンメディカルシステムズ株式会社
岡山支店 営業担当課長
藤本周作 氏
キヤノンメディカルシステムズ株式会社
中四国支社 フィールドサポート部 技術担当 課長
白石秀雄 氏
キヤノンメディカルシステムズ株式会社
中四国支社 フィールドサポート部 技術担当主任
網本隆典 氏
段階的な復興 まび記念病院の動き
本当に大変だったのは被災直後。
本当に大変だったのは被災直後。
多くの協力をいただき、身動きが取れない状況を打破して、前に進んだ。
村上理事長
復興という言葉を聞くと、被災前の姿を取り戻す「完全復興」をイメージされる方が多いと思いますが、実際には非常に細かく段階的に復興していきます。電気や水道が開通するごとに、できることが少しずつ増えました。7月18日には検診車が手配できたため、駐車場に椅子を並べて待ち合いにする形で、ごく一部の診療を再開しています。その後、7月30日には仮設のプレハブで診療所をつくり、医療用電源を得られるようになってからは、外来透析もできるようになりました。
病院の電源は、通常の家庭用電源と異なり、キュービクル(高圧受電設備)がないと医療機器が動かないため、通常の電気の復旧から遅れたのです。これらの段階的復興の各所で、キヤノンメディカルシステムズさんには、何度も力をお貸しいただきました。
小村技師長
MRIやCTの撤去は7月31日から8月1日の2日間で行いました。夏真っ盛りの中、電気も何もない状態。暑くて真っ暗な中、泥まみれの状態で作業を懸命にしていただきました。
キヤノンMS
網本さん
電気がないことは分かっていたので、乾電池式のライトを大量に購入して作業に向かいました。特にMRIは、配線や配管が複雑で、明るい環境がどうしても必要だったからです。中四国管内の各支社からもサービス担当者を集めて、チーム制で交代しながら作業に取り組みました。
網本さん
村上理事長
9月18日からは、被災をまぬがれた2階を使って院内で診療を再開しました。その際にも、キヤノンメディカルシステムズさんには、水没を免れたエコーやポータブル撮影機器の設置・点検に素早く対応していただきました。
12月3日には、被災前の半分にあたる40床で入院診療が可能になり、2019年の1月21日には、MRIやCTなどの大型撮像機器の再設置が完了。2月1日に晴れてすべての病院業務と被災前に匹敵する機器群で再スタートを切ることができました。何よりも、職員たちの多くが仕事に誇りを持ち、地域のことを思って付いて来てくれたことが大きな力となりました。
入院診療まですべての病院機能を急いで復活させることに不安がなかったわけではありません。なぜなら、地域に人が戻っていないからです。夜になると真っ暗闇ですから、「ここに医療機関がしっかりと復興しているぞ」と、毎日のように敷地内でイルミネーションを点灯させ続けました。その甲斐あってか、2019年の夏には被災前の9割近くまで入院患者様が戻られています。
国重事務長
200台弱の情報端末を失い、最も大変だったことは、個人情報の漏えい防止対策です。何としても患者様の診察データは、守らなければなりません。毎日のように、泥やがれきの中に埋もれているパソコン類を探し出しては、メモリ・ハードディスクを取り出す作業を続けていました。7月いっぱいを要したと記憶しています。
村上理事長
このように、一歩ずつ復興が進みました。被災してから2月の完全復興までに7か月もかかりましたが、これでも地域内の企業の中ではかなり早い方です。実際に被災してみて分かったことは、補助金申請の難しさ。
いまだに熊本地震の被災企業には、補助金が行き渡っていないと聞きますが、時間がかかり、完全に元の姿に戻すという行政の方向性と、当院の方針は残念ながら合致しませんでした。地域で唯一の一般病院ですから、住民の方々に安心していただくには、「医療は大丈夫だ!」と先陣を切って復興させなければなりません。
待つ時間がないのです。また、被災を含めたここまでの経験は、さらに良い医療の形を生み出します。時間をかけて元通りでは、地域医療を進めたことになりません。
そう考え、補助金を諦めて、保険金と借り入れだけで突き進んできました。これまで看てきた患者様を他の医療機関に引き継ぐという無力感。これだけひどい被害を受けた地域の人たちに早く安定した医療を提供したいという思い。地域医療の土台を持つ医療機関として何ができるかを考えた結果です。
地域医療の継続を実現したグループ院の存在
まび記念病院の患者様、職員、機器をグループ内のクリニックで受け止めた。
まび記念病院の患者様、職員、機器をグループ内のクリニックで受け止めた。
途切れない医療を可能な限り目指す道を歩んだ。
村上理事長
開院以来、総社を含む倉敷市の北西側の地域を面的にとらえて、全世代を対象とした全人的な医療を展開してきました。まび記念病院と箭田のクリニックは被災してしまいましたが、新倉敷のむらかみクリニックと、総社の泉リハビリグループは被災していません。そこで、水没を免れたサーバーをむらかみクリニックに移設し、可能な限り、継続した医療を提供できる体制を急いで整えました。
国重事務長
とにもかくにも、2階に設置していた電子カルテサーバーとPACSサーバーは浸水をまぬがれました。ただ、電源喪失状態の中で復旧未定のままでは、鉄の塊に過ぎません。
そこで、むらかみクリニックへの移設を決定しました。当院の画像診断ネットワークは、キヤノンメディカルシステムズさんに設計していただきましたが、特にむらかみクリニックには将来的に大型医療機器が入ることを見越して、電気容量の上限を大きく取っていたことが幸いしました。
しかし、いざ移設しようとすると、被災直後ですから泥だらけの上に乾燥したところからは粉じんが舞い上がっている劣悪な環境。さらには、どの運送会社も対応できないとのことで、自前で車を手配し、トラックへの載せ降ろしも自分たちで行いました。
無事に運び終えて、サポート会社のSEに接続確認してもらい、問題なく稼働した時の感動は例えようもありません。リスクはありましたが、通常診療の継続を望む方と、定期処方薬を取りに来られる方にとっては、この移設は正解だったと考えています。
無事に運び終えて、サポート会社のSEに接続確認してもらい、問題なく稼働した時の感動は例えようもありません。リスクはありましたが、通常診療の継続を望む方と、定期処方薬を取りに来られる方にとっては、この移設は正解だったと考えています。
村上理事長
ふたつのクリニックで診療が可能になったため、まび記念病院の医師や看護師を両施設に向かわせました。そうなると、これまでのデータをもとに診察してもらえる、医師もいる、機器もしっかりと動いているということで、両施設まで来ていただける方に継続して医療を提供できました。
避難所にいたり、仮設住宅に入ったりで、なかなかすぐには来られなかったようですが、時が経つとともに従来の患者さんが増加。最終的には両施設で7月と8月だけで、のべ4,600名の真備の人たちを診療することができました。
その際に、最も驚いたのは、患者様方から私たちを心配してくださる声でした。「ご無事でよかった」「早く開いてくれてありがとう」という声です。私たちが町民の方々を励まそうとがんばっていたはずが、ありがたいことに私たちも非常に励まされていました。
小村技師長
受け入れたむらかみクリニックは、かなり混雑しました。普段は1日に100人程度の診療を行っていますが、この時期は200人程度になり、座るところもない状態。診察スペースは変わらないのに、医師や看護師も倍程度になったため、野戦病院さながらの様相を呈していました。
ただ、これまで連絡することはあれども、顔も仕事する姿も知らなかったグループの職員同士が、実際に顔を合わせ、これまでの経験を融合して仕事を進めていったことは、各人が大きく成長するきっかけになったと思います。本当の意味で、グループ、仲間になれたと感じました。
復興に関わるということ
思いと行動を受け止めてベストを尽くす。
思いと行動を受け止めてベストを尽くす。
立場や関係を超えて、ただただ復興を目指す人々に助けてもらった。
村上理事長
被災直後から、さまざまな方々が私たちを支援してくださりました。特に毎日のように医師を派遣していただいた岡山大学病院と川崎医科大学附属病院には、多大なご支援をいただきました。その他多くのご支援があり、いまの復興した姿があります。
渦中を通じて最も長く力になっていただいたのが、キヤノンメディカルシステムズさんです。私が勤務医の頃から機器に慣れ親しんでいて、サービスや技術の方がきめ細やかな対応をしてくださることは知っていました。ですから、開業医となった時に画像診断に関わる一切合切をお任せした次第です。当院が特定機能病院に匹敵するスピーディーな診療を可能にしてくれた立役者ですから、この災害においても、多大なご支援をいただきました。
キヤノンMS
藤本さん
これまで3ヶ所の医療機関における全体の最適化を常に考えて、グループ内のネットワークを構築してきました。CTなどの据付型機器を設置する際も、どの施設での運用が最適か?を深く話し合い、決定してきた経緯があります。その結果、災害を受けた施設で装置がダウンしても、他の2施設で検査受け入れが出来たのだと思います。
藤本さん
キヤノンMS
吉田さん
とはいえ、9日の現地確認は泥とがれきの山の中で、どうしたものかと、立ち尽くしました。気を取り直し、機器やブレーカーを確認させていただいて被災直後は帰りましたが、そこから、MRIやCTの解体と搬出に向けて、いつ声が掛かってもよいように準備をしました。一声かかれば動ける、社内の体制をつくっておきました。
吉田さん
キヤノンMS
白石さん
弊社の全員が、常に一歩先を考えながら動いています。それが、品質や安全性を生むからです。特に災害への対応は、少しでも早く対応してほしいはずですし、突然声がかかることもあります。作業時間を通常よりも要しますし、人数も必要。可能な限りお話をお聞きし、対応策を先手先手で考え、共有することを心がけました。
白石さん
小村技師長
就職した時から、ずっとキヤノンメディカルシステムズ(当時は東芝)の製品を使ってきました。ちょっと分からないことがあっても、電話すれば、すぐに説明をしてくれますし、必要な場合は駆けつけてくれます。技術ももちろん素晴らしく、何よりも仕事のテンポや気持ちの波長が合うことが安心感につながっています。人間同士の関係性を最も大切に考えていただけますし私はそこまで含めて「性能」ではないかと考えています。
段階を追って復興が進んでいくに従って、私たちの中に、大きな心の変化が生まれました。診療に関わる職員は、みんな何らかの専門職です。確かにがれきの撤去や掃除、警備などの活動は、被災時に不可欠なもの。しかし、時を経て、自らの専門職に戻れるとなったときに、表情が一気に変わりました。やっと自らの専門分野で地域にお返しできるときが来たと。私は、これを精神的な復興だと感じました。時間はかかりましたが、ひとつの診療科目ずつ、表情を取り戻していく職員たちを見る度に、復興をご支援いただいた方々に深くお礼を言いたいと常に思い続けてきました。みなさま、真備を助けていただいて、ありがとうございます。
今後の地域医療と災害への取り組み
地域で人を支えるとは何か。
地域で人を支えるとは何か。
見えてきた輪郭を職員全員で共有し、地域包括ケアの先駆けとなる。
村松院長
この災害は、当院を含め11医療機関が機能停止して、現在は7医療機関が再開し、4医療機関が閉鎖してしまうほどの規模でした。理事長以下、「こういう病院をつくって地域のための医療を展開しよう」と夢を持って立ち上げた病院が、たったの4年で被災してしまったのです。もし、このまま閉鎖や縮小となれば、こんなに悔しいことはないと思っていました。同様の思いをたくさんの職員が持っていたことで、復興を目指せたのです。
一方で、いかに私が災害を知らなかったかを痛感させられたことも事実です。BCP(事業継続計画)をきちんと策定しておき、災害が起こった際には、そのプランが稼働できるように準備をしていなければなりませんでした。3日分の備蓄食料も、避難者の方々の分まで考慮していなかったですし、停電するとどれほど困ったことになるのかも深く想定すべきでした。さまざまな反省点があります。
ただ、病院という特殊な施設においては、通常のBCPを策定するだけでは不十分です。1階にあった高圧受電設備を堤防以上の高さに上げるなど、さまざまな改良を進めていますが、災害拠点病院に義務化されている、災害時3日間の電気を供給できる非常用発電機が必要など、地方の病院には無理なハードルもたくさんあります。それらの各種条件を踏まえると、いま最も作成を急ぐべきは、患者様の命を守るBCPと、いったん停止した病院機能をすぐにでも再開するためのBCPです。今回経験したことを盛り込んで、骨太に仕上げます。
村上理事長
これだけの被災をして、復興を目指したのですから、これまで以上に地域医療の在るべき姿を追い求めていきたいと強く考えています。他の災害被災地も同じかもしれませんが、同じく被害を受け、同じ時間の中を町の人々と生きました。それだけで、お互いにがんばろうという空気が生まれます。被災して良かったことなんてありませんが、私自身がずっと医者人生を歩んできて、212名もの避難者を受け入れ、安全に送り出せたことは、真備で医療を続けてきた自らの使命を感じるものでした。
真備に住む多くの人たちは、一軒家に住み、隣近所と交流を深めて暮らしてきました。しかし、被災してからの仮設住宅での暮らしは、そういう環境を一気に失うことを意味しています。相当なストレスを抱える暮らしの中、長く付き合いがある医師と話したり、待ち合いで知り合いと話すことは何よりものリラックスにつながるのではないでしょうか。
そう考え、病院内でコンサートを定期的に開くなど、知り合いの人同士がおしゃべりできる場づくりを推進しています。都会の大病院ではなく、町にひとつの病院に何ができるかを考えるべきと、今回の被災であらためて学びました。
従来から、病院、クリニック、介護施設、在宅のすべてを網羅して、地域の人たちに安心して住んでもらうことを目標に医療を提供していましたが、もっとクオリティを上げ、地域包括ケアにおいて国のモデル地区になるぐらいの覚悟で取り組みます。そのためにも、キヤノンメディカルシステムズさんを筆頭に、関わってくださるすべての方々に、「ひとつの大きな新しい地域医療をつくる」という概念で、今後も協力をお願いしたいと思っています。
つい最近、むらかみクリニックに来てくれた患者さんのひとことに驚きました。「まび記念病院は、病気を治すだけの病院ではなく、人を支えていくような病院になりましたね」と。このひとことに、これから私たちが目指す地域医療と防災の姿が込められています。
キヤノンメディカルシステムズは、
これからも日本全国の医療機関と連携し
Made for Lifeの理念を推進していきます。
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